誰かに媚びる人生でいいの?聖帝様(サウザー)に学ぶ人生論
媚びると聞けば皆さんは何を想像しますか?
私はありきたりですが、某世紀末漫画にて聖帝様が胸に七つの傷を持つ寡黙な筋肉野郎に放った名台詞が頭に浮かびます。
「退かぬ、媚びぬ、省みぬ」
まあ結局この言葉を吐いてすぐに召されてしまうのですが、強烈なインパクトを残したセリフだったことに違いはありません。
どうも、不動産営業マンのhorisegawaです。
皆さんは誰かに媚びていますか?
こんなタイトル付けてて言うのもあれですが、私は媚びてます。
媚びへつらってます。
要はこの記事を書いた目的は自己啓発的なものです。
誰かに媚びて生きていくのはどんなメリット・デメリットがあるのでしょうか。
聖帝様の生き様を参考にちょっと考えてみました。
誰かに媚びる人生でいいの?
聖帝様の様な生き方はなかなか出来ませんが、どうして出来ないのかに何か答えが見えてくるのではないでしょうか。
まずは私と聖帝様の違いは何なのかを考えていきます。
圧倒的な強さ
南斗鳳凰拳を使い素手で何でもできちゃう聖帝様とは違い、私は圧倒的に弱いです。
逆に言えば聖帝様は強過ぎるのです。
強ければ媚びる必要が無い、これが真理なのかもしれませんね。
ただ聖帝様の場合は自分より強い存在(胸に七つの傷を持つ寡黙な筋肉野郎)が現れた時も、最後まで媚びずに自分を貫きました。
なんという漢気なのでしょうか…
その漢気には過去に要らぬと捨てた愛に負けるわけにはいかぬといった気持ちがあったのではないでしょうか。
何故なら胸に七つの傷を持つ寡黙な筋肉野郎は、愛の為に闘っているからです。
愛を捨てた過去
聖帝様はその昔、愛するお師さん(オウガイ)から南斗鳳凰拳を伝承する際に、目隠しをさせられ目の前の敵を倒せと言われました。
しかし聖帝様が倒したのは愛するお師さんだったのです。
その際に聖帝様はこんなにも苦しくて悲しいのならば愛など要らぬと心に誓ったのです。
そんな聖帝様と違い、この小癪でちっぽけな私は愛に飢え、愛を注いでいます。
妻に愛を注ぎ、飼い猫に愛を注ぎ、今年産まれてくる予定の我が子にも愛を注ぐ予定です。
そして妻には愛されたいと思い、子にも愛される存在でいたいと思っています。
この愛を捨てるなんて私には到底難しいのですが、仮に愛を捨てるとどうなるのでしょうか。
どう考えても離婚以外の結末が想像できません。聖帝様には申し訳ないのですが、敢えて自分から愛を捨てる状況でもありませんので、私は現状維持でいきたいと思います。
仮に愛を捨てると誓った日が来たとしても、非情になれたところで物理的な力がありません。
現代社会において物理的な力は然程必要無いかもしれませんが、聖帝様の場合は現代社会でもそれなりの地位に就きそうな気がします。
媚びない人生とは
人に媚びずに生きる人生とはどんな人生なのでしょうか。
会社という組織で働く以上、上司は必ず存在しますし社長になったところで株式会社の場合は株主が存在します。
これらの存在を全無視で生きていくにはなかなかハードルが高いですね。
仮に目上の人に一切の敬意も示さず、他人に全く媚びない存在になれたとしたら、上司とはどんな感じのやりとりになるのでしょうか。
horisegawa君、会議の資料をまとめといてくれ
誰に指図してんだ、てめえがやれよ
horisegawa君、今月の売り上げはどうかね
黙れよまじで、てめえで把握しとけよ
これはちょっとレベルが高すぎますね。
horisegawa君、この有給はどういう理由で取得するのかね?
それ、答える必要ありますか?
これぐらいが現実的でしょうか。
終身雇用が崩壊しつつある今の日本で上司に媚びへつらうのがアホらしくなってきました。
私も聖帝様の様に振る舞いたいと思います。
horisegawa君、部下の管理はしっかりできているかい?
フハハ、おれはアリの反逆さえ許さぬ!
これぐらいのキャラ設定で仕事ができたら楽だろうなあ。
まとめ
私がいくら聖帝様の様になれたとしても奥さんにだけは生涯頭が上がる気がしません。