【読者数200名突破!】アルティメットコラム:その1「子供と大人」
私が皆様と一生懸命育て上げてきた「この夏最高に熱いぶっ飛びメガ盛りアルティメットヒットブログ〜ポロリもあるよ〜」ですが、
遂に…
読者数が200名の大台に乗りました!
すごい!アメージングブラボー!!
お礼にJR神戸駅近くの「神起」のラーメンを載せておきますね。
二郎のインスパイア系です。
ボリュームもあってめちゃくちゃ美味いです。
神戸駅に立ち寄ることがあれば是非。
そしてこれから不定期ですが「アルティメットコラム」を連載いたします。
記念すべき第1回は「子供と大人」について私なりの考えをお話ししたいと思います。
アルティメットコラム:その1「子供と大人」
令和元年9月末ごろ、私は父親になる予定だ。
自分が父親になるなんてつい一年前までこれっぽっちも考えたこともなかったのだが、なんだかんだで父親になるようだ。
命のバトン、子孫繁栄、そんな大義に興味が無かった私が親になる。
私の頭の中には幼少期に幼稚園に行くのが嫌で泣いていた記憶がまだ薄っすらと残っている。
そんな人間が親になる。
子供とはなんだろう。
親になるってどういうことなんだろう。
大人という曖昧な存在
私が生きているこの国では「大人」とは成人のことであり、現在の法律では20歳以上の者を指すようだ。
それは法律上の「大人」であって、現状この国における精神的な意味での「大人」とはかけ離れている。
当然ながら法律上での線引きは必要であるが、本来大人と子供の境目というのは非常に曖昧なものなんじゃないだろうか。
社会人になれば大人?結婚すれば大人?親になれば大人?
私は現在32歳であるが、12年前に法律上の「大人」になった。
「大人」になってからの12年間、私は自分のことを一度も「大人」と思ったことがない。
何故なら私の考える「大人」とは経済的に自立しており自分の責任で行動ができる人間だからである。
もちろん私も経済的には自立しているつもりだが、物事に対して責任を持てるかどうかと問われれば「はい」と即答できない気がする。
そんな人間がもうすぐ「親」になる。
そんな親がどうやって子供に物事の理を教えることができるのであろうか。
生まれてくる子供には是非とも責任を持って向かい合いたいと思う。
自分の子供という存在
先に子供が生まれた友人達や子供がいる会社の先輩に話を聞くと、みんな口を揃えて言うことがある。
「子供の為なら何でもできる」
まだ親の気持ちを知らない私からすると、じゃあ空を飛んでみろよと意地悪心で言いたくもなる。
しかしこれもあと数ヶ月すると、私も空を飛べる様な気になっているのかもしれない。
子供の存在というのは、私の心の底に蓄積してこびり付いている人生観や価値観といったものを覆すほどに、私を変えてしまうのだろうか。
その変化をどこか他人事のように楽しみにしている自分がいる。
そして一つの心配がある。
仕事柄子供と接する機会が度々あるのだが、うまく接することができているのだろうか。
他人の子供にはどうも苦手意識がある。
子供嫌いという訳ではないのだが、どう接していいのかが分からないのである。
さて、自分の子供の場合にはどうなるのだろうか。
これも楽しみの一つである。
私は親になれるのだろうか。
早く出てきて答えを教えてくれるか我が子よ。
まとめ
アルティメットコラム始めました!
一発目は短かく真面目にまとめてみました。
不定期ですが何か一つをテーマを決めて語りたいと思います。
今週のお題で書いてみてもいいですね。
とりあえず二発目は支離滅裂でぶっ飛んだこの夏最高に熱いアルティメットコラムを掲載予定です。
第一回で終わる可能性も存分にあります!
まだまだ読者登録の席は空いていますよ!