【人生とは「迷い」と「決断」の連続である】
【迷い】と【決断】
この異なる二つの言葉に人生の答えを見つけるヒントが隠されているのかもしれない。
人生とは選択の連続であり、その選択には必ずと言って良いほど「迷い」が生じるものである。
「迷い」を経て「決断」を下す時、人は必ずしも最良の選択をする訳ではない。
ここでは例として私の選択を見てみることにしよう。
case1.昼飯問題における選択の重要性
昼休憩、それは我々サラリーマンにとって何人たりとも侵すことのできない不可侵領域である。
この限られた1時間を如何に有意義に過ごすかによって、昼以降のモチベーションが大きく変わることになる。
この日、私はいつもの様に昼飯をどうするか朝から悩んでいた。
選択肢を2つまで絞り込み、最終的にサイゼリヤか老舗の中華屋で迷っていた。
サイゼリヤにはサラダ、ライス、スープバー付き税込500円のランチがある。
中華屋は税込830円で鳥のチリソースをメインとした日替わりランチを提供している。
ちなみにライスのお代わりが自由だ。
その差330円。
ボリューム的にはライスのお代わりが自由である中華屋に軍配が上がるが、コスパで考えればスープバーが付いているサイゼリヤに軍配が上がる。
実に悩ましい。
しかしながら悩む時間が勿体無い。
刻一刻と決断の時は迫る。
私は腹を満たせばすぐに席を立つ企業戦士とは違い、そのランチの余韻に時間いっぱいまで浸りたいのである。
早く決断せねば…
ええいままよ。
「日替わり定食お願いします」
完全に成功である。
鶏モモ肉に甘辛いチリソース、合わないわけがない。
ついついご飯をお代わりしてしまう。
付け合わせの芙蓉蟹(フヨウハイ)が最高に美味い。
芙蓉蟹とはかに玉のことである。
実に素晴らしいランチであった。
そして次の日はサイゼリヤのランチにしようという決断も同時にできた。
人生とは「迷い」と「決断」の連続である。
case2.自分の身体は疑ってかかれ
ある日のこと、私は通勤電車に揺られていた。
普段なら通勤時間なんてものは呼吸するのと同じぐらい無意識に過ごしているのだが、この日は違った。
朝から若干の予兆はあった。
どこか私の中で気付かないふりをしていたのかもしれない。
それは音もなく突然やってきた。
電車内で一番襲われたくない存在、そして襲われてはいけない存在「便意」に襲われたのである。
これは参った。
まだ会社の最寄り駅まで30分はかかる。
いつもならトイレ付きの快速電車に乗るのだが、この日は快速を逃してしまい各駅停車の普通電車に乗っている。
一度降りれば良いのだが、この電車を降りてしまうと確実に遅刻してしまう。
時間ギリギリまで家でくつろいでいた先ほどまでの私を恨む。
実に悩ましい。
しかしながらここで決断せねば電車内で一躍時の人になってしまう。
「遅刻」or「時の人」
私が下した決断、それは「遅刻」である。
私に時の人になる器量は無かった。
会社の最寄り駅手前で途中下車し、急いで駅のトイレに駆け込む。
身体の中から諸悪の根源が音を立て流れ去り、まるで極楽浄土にいるかのような心地である。
私の決断は正しかったのだ。
人生とは「迷い」と「決断」の連続である。
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