明確な殺意を持つ俺と人海戦術を繰り広げる憎き虫畜生ども
虫嫌いだけど虫も俺のこと嫌いなんだろな
私が住んでいる場所は森に近く、昨年意を決して購入した家(漢気35年ローン)の庭先には毎日たくさんの虫畜生どもがやってくる。
そして自慢の庭には家庭菜園でゴーヤ、トマト、きゅうり、大葉を植えているのだが見たことの無いような憎き虫畜生どもが大量に湧いている。
私は虫が嫌いだ。虫もたぶん私のことが嫌いだろう。
なぜなら憎き虫畜生どもを見ると、ぶっ殺してやる!って心の中で叫んでいるから。
それはもう蚊取線香を腰にぶら下げ、殺虫スプレーを両手に持ち…という出で立ちなので、そんな感じで接されている畜生どもからするとこいつはやべえ奴だと認識していることであろう。
これはそんな私と憎き虫畜生どもとの戦いを記した物語である。
明確な殺意を持つ私と人海戦術を繰り広げる虫
もういくら戦ってもキリがない。ありとあらゆる種類の虫畜生どもが繁殖を繰り返し、家主の許可なく我が家を根城としている。許されるのであれば火炎放射器を使用して一掃してやりたい。
これは人間のエゴなのか?私が住み着く前から貴様らの先祖はそこにいたんだろう。
そんなことは関係ない。
一寸の虫にも五分の魂?だから何なんだという話である。
頼むから意思疎通を可能にしてくれ
何故私がここまで憤怒しているかというと、それは憎き虫畜生の行動に問題があるからである。
1億歩譲って庭で子孫を繁栄させ小さなコロニーを作るのは許してやる程の心は持っている。
ただ、家の中には絶対に入るな。頼むからやめてくれ。
憎き虫畜生どもと意思疎通が可能であるのならば、畜生どもが欲するものを全て差し出す代わりに我が陣地から完全に撤退して貰いたい。
挨拶がわりに飛翔する畜生ども
夜になると玄関灯の周りに無数の虫畜生どもが集まってくるのだが、玄関を開ける動作をすると数匹の畜生が『イェーイ!』と言わんばかりの様子で飛び回る。
貴様らに歓迎される筋合いは無い。
気分は世紀末救世主である。
私はその瞬間玄関に置いてある殺虫スプレーで畜生の挨拶に応える様に、私なりの粋な挨拶を食らわしてやる。
散りはするがまた明日には戻ってくるであろう畜生どもに、私は門灯などの屋外用殺虫剤を噴射する。
噴射後は門灯に蠢く虫畜生どもが激減したので効果はあるようだ。
庭の石垣を拠点にする畜生ども
次から次へと生息場所を変えて繁栄しようとする畜生ども。放ったらかしにしていた雑草を掻き分けると、石垣にわんさかと名前も分からない小さな畜生が蠢いていた。
土地の所有権を主張したところで、憎き虫畜生どもにこちら側(人間)の道理が通じないのは重々承知しているが、生理的に無理なものは無理なのである。
衝動に突き動かされた私はホームセンターで殺虫グッズを買い、帰宅するや否や石垣に殺虫剤を撒き散らかした。
逃げ惑う畜生達を見て確信した。私はやっぱりこいつらが嫌いだ。
遺伝子レベルで受け継がれる遺恨
思えば幼少期から虫の類はあまり得意ではなかった。
小学生の頃、夏休みに祖父母の家に遊びに行ったときのことである。サンダルを履いて元気に遊び回っていたのだが、右足に何やら違和感を感じたのだ。
恐る恐るサンダルを見ると、木の枝が絡まっていたのである。しかしこの木の枝、何やら様子がおかしい。
なんと、ナナフシという昆虫だったのである。
ナナフシ
ナナフシ(七節、竹節虫)は、節足動物門昆虫綱ナナフシ目に属する昆虫の総称。草食性の昆虫で、木の枝に擬態した姿が特徴的。「七節」の「七」は単に「たくさん」という程度の意味で、実際に体節を正しく7つもっているわけではない。また、「竹節虫」は中国語由来の表記である。
Wikipediaナナフシより引用
時代が時代なら事案として地域の防犯メールで配信されそうなぐらい、大声で叫び散らかし助けを求めた記憶がある。
何故人間は虫を目の敵にするのか
気持ち悪いからに決まっている。何故気持ち悪いと思うか?そんなことはどうでもいい、私の中の本能が畜生どもの存在を拒絶している。
憎き虫畜生どもに譲歩する気は微塵もない。
ただ、むやみに殺生しているわけでは無くあくまでも我が家に寄り付く畜生どもに限った話である。
この先も我が家に近寄る畜生どもとは全力で戦争してやるつもりだ。
まとめ
虫嫌いって克服できるんだろうか。
もちろんする気ないけど。
だから夏は嫌いなんだよ。